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しかし、私が気になるのは、週末婚が夫婦のそれぞれがアクティヴな社会的活動に従事しており、 高額の家賃を負担しても十分に単身で生活できる経済力を有しているという条件は かなり不安定なものではないかということである。と、前振りがある。その後、
例えば、週末婚配偶者の一方が病気になったり、失職した場合に、 他方の配偶者はこれにどう対応するのであろう。
……
週末婚は「強者カップル」においては可能だが、 一方の配偶者が弱者になれば破綻の危機に瀕するということである。
……
実情は「弱者の切り捨て」ということである。
昔、あるインディペンデントな夫婦を知っていた。 夫婦それぞれ仕事を持ち、相当な年収を得て、お互いを束縛せずに、 異性関係を含めてかなり自由に活動していた。 そういうのもありなのかしらと私は眺めていた。 その妻があるとき病気になった。 脳内出血で意識を失ったのである。 しばらく植物人間状態が続いたあと、夫は妻を実家に送り返した。 荷物みたいに。という話が来る。そこで「親族」というものについて、
私たちは必ず年老い、病み、仕事を失い、心身の機能が低下する。 親族はそのようなときのための「安全保障」の装置である。 だから、私たちは自分の親族のうちに、 幼児や老人や病人や障害者をフルメンバーとして受け容れている。 私たちはかつて幼児であり、いずれ老人になり、高い確率で病人や障害者になる。 そのときの「弱い私」をフルメンバーとして敬意を以て接してくれるような 共同体を構築するために、「強い」ときに、 持てるリソースの相当部分を彼らのために割くのである。と来る。それで最後の締めが、
結婚の誓言は「富めるときも貧しきときも、 健やかなるときも病めるときも」という条件を課している。 現に、富めるときや健やかなるときに私たちは親族を必要としない。 いくらでも友だちがおり、取り巻きがおり、どこでも歓迎されるからだ。 しかし、貧しいとき、病めるときには、かつての知友は知らない顔をして通り過ぎてゆき、 どこの家のドアも開かない。 親族はそのようなrainy day のためのものである。 貧しいとき、病めるときでも、親族は見捨てない。
そのことを知っていたからこそ、 さきほど例に挙げた夫は昏睡状態の妻をその「親族」に送り返したのである。と。ここまでフムフムと読んでいたのだけど、この一文で突然、 樹さんが何を言いたいのかよく分からなくなってしまった。 この夫は、弱者を切り捨てた人間なのか、それとも 強いときに自分の持てるリソースを割いて親族を構築していた人間なのか。 もちろん、ここには書かれていないことが沢山あって、 後者であるという可能性もあるんだろうが。
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